日本思春期学会の沿革
1963年(昭和38年) | 思春期医学シンポジウム設立 発起人;婦人科学: 松本清一,古谷博 小児科学: 茂手木皓喜 泌尿器科学:志田圭三 精神医学: 樋口幸吉 事務局;都立駒込病院中央検査部(茂手木皓喜) |
1967年(昭和42年) | それまでに研究集会で発表された演題をもとに「思春期の知識」発刊(共立出版株式会社) |
1971年(昭和46年) | 国際小児思春期婦人科連合(FIGIJ)発足。 思春期医学シンポジウムを思春期医学研究会と改めFIGIJの日本支部を兼ねた。 運営委員長;松本清一,その他幹事15人の委員。 第1回国際小児思春期婦人科シンポジウムがスイスにて開催。 |
1976年(昭和51年) | 第5回国際小児思春期婦人科シンポジウム(会長 松本清一)組織委員会およびプログラム委員会発足。 |
1978年(昭和53年) | 「思春期医学」発刊(第1巻 裕文社) |
1979年(昭和54年) | 第5回国際小児思春期婦人科シンポジウム,(会長 松本清一)が日本にて開催。 「思春期医学」発刊(第2巻 東京医学杜) |
1980年(昭和55年) | 日本産科婦人科学会産科婦人科小児・思春期問題委員会発足。 事務局を日本家族計画協会(保健会館別館)に移動。 「思春期医学」発刊(第3巻 東京医学杜) 日本家族計画協会の医学委員会に思春期保健小委員会を設立。 |
1981年(昭和56年) | 「思春期医学」発刊(第4巻 前田印刷株式会社) 日本家族計画協会主催・厚生省後援・当学会後援指導にて思春期保健相談員養成目的で思春期保健セミナーを開催することとした。 |
1982年(昭和57年) | 「日本思春期学会」と改め第1回日本思春期学会および設立総会を鹿児島市にて開催:会長 森一郎(鹿児島大学産婦人科教授) 理事長:松本清一,副理事長:船川幡夫,古谷博 学会誌を「思春期学」とし第1巻第1号発刊(オリオン興業株式会社) |
1983年(昭和58年) | 役員(顧問,名誉会見参与,常務理事,幹事)の制度を設けた。 学会誌「思春期学」第1巻第2号発刊(株式会社新生社) |
1984年(昭和59年) | 厚生省は健全母性育成事業を開始し、思春期問題をはじめて取り上げ、組織的推進体制をつくることとした。 |
1985年(昭和60年) | 副理事長:船川幡夫より平井信義に交代。 |
1989年(平成元年) | 副理事長:古谷博より安藤弘に交代。 |
1990年(平成2年) | 厚生省は思春期の子をもつ親の教室を開始。 |
1991年(平成3年) | 副理事長:安藤弘より平山宗広に交代。 |
1993年(平成5年) | 副理事長:平井信義より田能村祐麟に交代。 評議員、役員の選挙制度を設置。 |
1995年(平成7年) | 副理事長:平山宗弘より玉田太朗に交代。 |
1997年(平成9年) | 理事長:松本清一より高石昌弘に交代。 名誉理事長:松本清一 副理事長:田能村祐麟より白井將文に交代。 学会誌「思春期学」の編集を,株式会社トブコへ委嘱。 地域活動援助費制度を創設。 |
1999年(平成11年) | 副理事長:玉田太朗より矢内原巧に交代。 |
2000年(平成12年) | 厚生省は「健やか親子21」という国民運動を開始。 第6回アジア性科学学会(会長 松本清一)が神戸で開催。 |
2001年(平成13年) | 理事会内小委員会を創設。 理事長:高石昌弘より白井將文に交代。 副理事長:白井將文,矢内原巧より村田光範、黒島淳子に交代 |
2005年(平成17年) | 理事長:白井將文より黒島淳子に交代。 副理事長:黒島淳子より森崇に交代。 |
2007年(平成19年) | 理事長:黒島淳子より林謙治に交代。 副理事長:村田光範,森崇より目崎登,星合昊に交代。 |
2009年(平成21年) | 副理事長:目崎登より北村邦夫に交代。 |
2011年(平成23年) | 副理事長:星合昊より並木幹夫に交代。 |
2015年(平成27年) | 理事長:林謙治より並木幹夫に交代。 副理事長:並木幹夫,北村邦夫より荒堀憲二,斎藤益子に交代。 |
2016年(平成28年) | 一般社団法人日本思春期学会を設立登記する。 |
2018年(平成30年) | 理事長:並木幹夫より榊原秀也に交代。 副理事長:荒堀憲二,斎藤益子より高波眞佐治, 茅島江子に交代。 |
2020年(令和2年) | 副理事長:高波眞佐治, 茅島江子より髙橋健太郎, 高田昌代に交代。 |
2022年(令和4年) | 副理事長:髙橋健太郎より松浦賢長に交代。 |
2024年(令和6年) | 理事長:榊原秀也より松浦賢長に交代。 |